プロフィールにもあるように私は電気屋なのですが,
戦後の復興において欠くことのできなかった電力を満たすため,
数々の電源開発が行われました。
その代表格が当社の初代会長であられた白州次郎さまが手がけた
只見川流域の開発と,関西電力を率いた太田垣士郎さまが手がけた
プロジェクトXでも有名な黒部川の開発でしょう。
只見川水系の開発は,戦前から計画はされていましたが,
結局戦争もあり実現しませんでした。
それを,白州さまはいち早く只見川水系の開発による電源開発に注目し,
水利権を盾に裁判まで持ち込んだ東京電力から,人脈をフル活用して
政府決定で水利権を移管,只見川水系の開発に乗り出しました。
工事中は作業着に長靴で自ら車を運転して現場に出向き,
過酷な環境で働く作業員を激励し,酒を酌み交わしたそうです。
この只見川水系は日本随一の水力電源となり,首都圏の需要に応えています。
なお,白州さまは悲願の只見川水系の開発が完了すると潔く会長を辞任。
役得はいくらでもあったはずが,すべて断り公私混同はしませんでした。
さすがにドラマ化されるだけの人物です。
一方の黒部川も戦前から注目されていましたが結局実現はしませんでした。
戦後,関西地区の電力不足は深刻化し,電源開発が求められていました。
それに対して,黒部ダム建設の英断を下したのが太田垣さまでした。
難航が予想される工事に対して反対論もあったようですが,
「10割可能なことしかしないのでは経営ではない,
7割の勝算があるならば決断するのが経営者として求められる」として
工事を敢行。工事用のトンネルの大出水など多大な労苦の末,完成。
ダムからの水で発電する黒部川第四発電所は国内水力の4位の出力を誇り,
関西圏の電力需要を支えてきました。
なお,太田垣さまはダム完成後少しして亡くなられました。
勲2等に序せられておられますが,それに見合うお方だと言えるでしょう。
というわけで,今日は明日電験2種を控えた自分への応援も兼ねて,
中島みゆきさんの”地上の星”です。
お二人ともあまりに有名で”地上の星”とはいえませんが,
戦後日本の復興を支えた功労者であることは間違いないでしょう。
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